NO残業DAYの効率と非効率

本日のガイアの夜明け見ました?テーマは「ノー残業」について。

久しぶりに面白くて最後まで見てしまいました(笑)

 

それにしても、電通が世の中を騒がしてから急に世間がこの残業を無くすことに血眼になっているように感じます。私の回りの企業も第一優先課題として取り組んでいますし。。。

 

でもそれはある意味良いことで、時間の使い方を皆が効率良く使い出せば、結果的に仕事の改善、改良につながって行くのですから。

 

私なんかいかに早く帰るかなんて若い頃から勝手にやっていました(笑)

 

ただ、当時は残業した方ができる奴と見られる時代でしたので、私のように残業を極力せず帰ろうとすると上司から「何だもう帰るのか!」なんて大きな声で嫌みを言う上司が多かったことか(笑)

それが、今では「早く帰れ!」ですものね。

 

昔の若者のおじさんにはついて行けない世の中になってしまいました(笑)

残業を減らすことに力を入れている一方で、人は増やさず「売り上げを落とすな!」と言っている企業。

 

こんな矛盾あります?

 

また、働く側も残業代は生活費の一部になっている為に、残業が減ると年収が下がり、生活水準を下げることになる。だから、残業を減らす会社に文句を言う。

 

これも矛盾だと思いませんか?

 

ストレス社会の原因が残業によるものだと言う反面、お金は欲しいからある程度は残業をさせてくれと言っているのですから。

 

人件費を抑える為に今回の世論の流れに乗って残業を極力0にしたいのが企業であり組織。

でも、生活費を落としたくないから残業をさせてくれと願う労働者。
この「滑稽な図式」は「人の感情は比較によって生じる」と前にblogでも書きましたが、まさに、人間的な心理的な矛盾がこの問題の根底を揺さぶっています。

 

 

 

それにしても、なぜ、残業代を生活費として見るようになったのでしょう?

もっと言えば、ボーナスも生活費になっている今の時代はいつからなのでしょう?
私の若い頃は、それらは企業の業績や仕事量によって変わる変動費的な物でしたから、生活費として見る事に怖さがありました。
たぶん、労組の取り組みが昔と違って「従業員の安定的な生活の確保」にシフトしたあたりからでしょうか。
とはいえ、いかに効率よく時間を活用し、売り上げを伸ばし利益を確保していくのかが問われる時代になりました。
働く側も、その企業の宿命を理解し、これまでと違った発想で働き方を考えていく時代になったのだと思えます。
それは、働く側が自分の人生を創造できる自由な時代でもあると言うことです。もし、今の場所が自分に合わないのなら場所を変えていくべきです。心身が病む位なら自分らしい場所を探し、生き方を改善していくべきです。
それが可能になった時代がやってきていると私には思えます。