祖父の本命日に寄せて

本日6月28日は私の父方の祖父の本命日です。千葉からお墓を浦安に移して初めての本命日。近くなった為に、無事お墓参りをさせていただくことが出来ました。

これまでは、なかなか命日と言えでも行く事が億劫で、行けなかったのですが、本日行く事が出来ちょっとうれしい気分です。

祖父も天国で喜んでくれている事でしょう。。。なんて(笑)

 

それにしても、孫の私が言うのも変ですが、祖父は素晴らしい人でした。

元々は長野の蚕農家で生まれた人なのですが、野心家で長野の片田舎で一生終わりたくないと一念発起し、農家の作業中に一人家を出長野の駅から東京まで出てきたようなんです。

 

昔は、兄弟が多かったせいか今ほど心配されなかったみたいで、一人東京で勝負に出た人なんですね。

 

この話は直接祖父から聞いたのではなく、祖母から私が小学校の時聞いた話なのですが、聞きながら男としての生き様に心が震えたのを覚えています。

 

祖父は、明治20年代の生まれと聞いていますので、明治の後半か大正の東京に一人出てきたんですよね。

その勇気と志に尊敬の念を感じてしまいます。

 

祖父が凄いのか明治の男の価値観が凄いのかわかりませんが、そんな祖父の孫として生まれたことを誇らしげに感じています。

東京に出て来てから、あるミシン販売会社に就職し、千葉支店長になったようなのですが、祖父の志はサラリーマンで終わることなく、自分で松本商会というミシン販売会社を興します。

 

時代はミシン全盛の時代。飛ぶように売れたようです。

祖母曰く、札束を障子紙にしたいくらいお金が入って来たようです(笑)

 

しかし、良いことは長く続かないのが世の常。ミシンの時代の終焉と同時に家業も火の車。父に代替えをしてもその流れは変えられず、最終的には倒産となりました。

 

今でも覚えているのが、真夜中家族で荷物をまとめ、こっそり三輪トラックに乗ったこと。

今考えると、夜逃げだったのかもしれません(笑)

ただ私は、父と母とトラックに乗ることがうれしくてはしゃいでいたのですが、今思うと、静かに乗っていて欲しかったのでしょうね。いかんせん、夜逃げですから(笑)

 

廃業後、祖父は心労がたたったのか病に倒れ亡くなってしまうのですが、入院中食事に出された味のない卵焼きを私にくれて、私が食べているのを笑顔で見てくれたていたのを鮮明に覚えています。

 

優しい祖父。勇気のある志の絶えない尊敬に値する祖父。今でも大好きな祖父なのです。

最近、大人たちの中で「志」とか「野心」とかあまり語る方を見なくなりました。夢を持てと学校で教えても夢を語れない子供も少なくなりました。

 

なぜなんでしょう?

 

世の中の世相が未来に価値を見出せないからでしょうか?

それとも、今を生きることでも精一杯で未来を考えられなくなっているからでしょうか?

何か祖父の生き様を考えていると、現代の人間がか弱く思えてきます。

 

だからと言って、自分に祖父程の志があるのかと問われても、即答できない自分もいます(笑)

 

お金を欲しい人は多くいます。でも、稼いだお金をどう使い、自分の生きざまにどう活用したいのかと語れる人は少ないような気がします。

 

祖父は、よく祖母に言っていたそうです。「写真を見ればそいつの頭の良さがわかる。賢く生きている奴は写真の中でも生き生きと映っている」と。

そして、こうも言ったそうです。

「生き金の使い方が大切なんだ。いくら死に金を使っても意味がない」と。

 

お金を稼ぐことは重要な事です。でも、生き金の使い方が上手な人はどれだけいるのでしょう?

 

写真に写る自分の顔をもう一度見直して、自分の生き方を再確認してみたいと思った祖父の本命日でした。