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神保町の天ぷら屋「いもや」が閉店しますね

今日車を運転してる何気ない瞬間に聞こえてきたのは、「いもやが閉店する」というラジオの中の会話。それは、学生時代を思い出し、寂しさを感じさせる衝撃的な言葉でした。

 

天ぷらは今となってはいつでもどこでも食べられるものではありますが、今から35年前、気軽に食べれる天ぷらのお店は「いもや」しかなかった様に思います。

とは言っても、貧乏学生にとってはお高い食事。100円~300円程度で食事を済ませていた私にとっては、なかなか入れないお店でした。ですから、ほとんどが先輩のおごり(笑)「いもや」に行きたくなったら先輩のバイト代が入ったころを見計らっておねだりして食べさせてもらっいたお店だったのです。

そして、自分に後輩が出来ると、今度は私が特別な日におごったお店。先輩、後輩の絆を作っていったお店が「いもや」でした。

 

たかが天ぷら屋されど懐かしい思い出のお店。自分が年老いていく様をラジオから流れてきた会話に反応している自分がいたのです。 


皆さんもそれぞれ学生時代に過ごした町にいつも通った懐かしいお店ってありませんか?

そのお店はまだあるのでしょうか?

私にはいつも行っていた喫茶店やラーメン屋、カレー屋、雀荘、本屋、居酒屋などなど昔はネットなどありませんでしたから、だいたい行くところは決まっていたもんです。

そして、行けば店主に可愛がられ、先輩、後輩がたむろしていたなじみの店。そんな場所が居心地良く、今となっては懐かしい空間として思い出す場所なのです。

 

その一つの「いもや」が無くなるのは、青春の一つのページが無くなるのと一緒で寂しさがこみ上げてきてしまいます。

 

それにしても、時代は多くのものを失います。そして、多くのものを生み出します。「いもや」が無くなると言うことは、何かが生まれているはずですよね。そして、それが今の学生の思い出になっていく。

時代の変化は何で計るのかと言えば、人々が暮らす日常が変化するものなんだということが、今回の「いもや」の閉店が示してくれているのではないかとしみじみ感じてしまいました。


世の中は「諸行無常」。常はないものです。いくらヒットしたとしても、多くの人々に指示されたとしても、時代はその日常を変化させてしまうものですよね。

 

会社を辞め、企業のサポートをしていて改めて思うのは、企業の最大のミッションは「存続」させることではないかと言うことです。

 

今の時代に愛されている企業でも、努力しなければ見放されてしまいます。それは企業のトップがいくら頑張っても、そこで働く人々が縁あって入社した企業の存続を願わず、願ったとしても努力せず、毎日をただ繰り返し過ごしているだけだったら、企業は間違いなく廃れていく運命をたどってしまうと思うのです。

 

存続するために、サービスを向上させ、イノベーションを起こし、時代の半歩先を行く戦略を構築して始めて存続は成立できるものだと思えるのです。

 

歴史はそれを教えてくれます。先人達はその境遇を私たち今の人々に見せてくれています。

私も含め存続するための創意工夫を継続していかなくては企業人としてお金をいただく意味が無いのではと感じます。

 

「いもやの閉店」話から少し大げさな話に発展しましたが、まさに世の中は平家物語。栄枯盛衰、諸行無常そのものですね(笑)