修学旅行先が次世代の観光地を作る

中学生の修学旅行先として京都が7割を獲得しましたね。すごいことです。

今から10年程前、京都の観光客が落ち込み、修学旅行生も落ち込んで「どうしたら観光客、修学旅行生を回復できますかね?」と京都府の方に相談されたことを懐かしく思い出します。

その時「京都そのものが歴史に彩られたテーマパークなんですから・・・」とテーマパークを元にした改善案を出させていただきました。

もちろん、それだけで回復したわけではなく、その案も含め多くの知恵を元に努力された結果が、今の京都の隆盛につながっているのだと思います。

私が思うに、よく「京都人の頭は固い、プライドがあるから外の意見を聞かない」等と言われる方がいますが、私がご縁のあった皆さんは、頭が柔らかく前向きで創造性のある方々でした。

私の好きな言葉に「温故知新」があるのですが、まさに京都の皆さんはこの言葉を実践されていると私は思います。


修学旅行の意義がここ数年いろいろ言われています。例えば、修学旅行廃止論や物見遊山な場所への禁止等など。でも、本当にそうなんでしょうか?修学旅行を廃止した学校もありますが、私的には実施して欲しいし、物見遊山の楽しい場所にも行って欲しいと思っています。

 

そもそも、修学旅行は日本がまだ貧しい時代、家族旅行にも行けない子供たちの為に学校教育の一環としてスタートしたものです。それによって、子供たちの絆が生まれ、視野が広がり、私は今の日本が創られてきたと感じています。

電車に乗るのも初めてだったり、旅行自体初めての体験がその後の人生の広がりを創っていき、新しい時代の大人の感性を創っていったのだと感じます。

ですから、修学旅行は行うべきですし、楽しい時間を共有し記憶に刻み込むべき時間を学校として作るべきだと思います。


このブログでも書いてきましたが、持論として「学校で起きたことは将来の社会を創っていく」というものがあります。

その観点で修学旅行を考えると、修学旅行での体験は「大人の感性」を磨く絶好の機会です。

その時に感じた友人との絆や一緒に楽しんだ気持ち、また、感じた場所の空気感というものは貴重な人生の財産になります。

ですから、修学旅行先は大人になっても記憶に残りますし、思い出の場所として刻まれます。

 

京都がなぜ観光地として今の隆盛があるのかと言えば、修学旅行に力を入れてきたからだと私は思います。

ただこう言うと、「それは違う、訪日外国人が増えたからだ」という声が聞こえてきそうですが、でも「その訪日外国人に対して日本をアピールするとき京都を選択したのは誰でしょう?」と私はお伝えしたい。

それは今の大人ですよね。つまり、昔の子供が体験した日本的な要素である京都をアピールしたいと感じたからなのではないでしょうか。

 

子供頃の記憶・体験が大人になって仕事に生かされる。よく芸術や学問の世界で言われる言葉だそうですが、まさに、観光や食、文化など地方の活性化にもこの言葉は生かされるべきものではないかと私には思えます。