2017/05/02 私の体験した不思議なお話㉚

 

本日で30回目を迎えました「私の体験した不思議なお話」。最終回は「ウォルトが伝えてくれた不思議なお話」の続きをお届けします。

 

前回は、ウォルト自身が「東京ディズニーランドの入り口でゲストをお迎えしているので世間の悪い評判は気にせず頑張れ」と伝えてくれたことを書きました。

今日は、ウォルトが教えてくれた「なぜディズニーランドに多くの人々が足を運ぶのか」を書きたいと思います。

 

まず、ディズニーランドはなぜ、メインストリート(日本だとワールドバザール)、アドベンチャーランド、ウエスタンランド、ファンタジーランド、トゥモローランドに分かれているかわかりますか?今では、これに追加のエリアが出来ているのですが、ウォルトが考えたエリアは元々5つのエリアから構成されていました。

これにはウォルトの思いが詰まっていて重要な意味があったのです。

 

一般的には、映画人であったウォルトは映画で観客が喜ぶ要素を取り入れたとなっています。つまり、観客は冒険的な要素、歴史的な要素、ファンタジーな要素、未来的な要素に対して興味を持ち映画を見に行くと。

しかし、夢枕に立ったウォルトが言うには「生まれる前に見た世界をこの世に投影したことにより人は潜在意識の中であの世を懐かしむから足を運びたくなる」と言うのです。

 

エドガーケーシーという心霊学者は論文で、まず人は死ぬと「過去の自分の人生を回顧する」その後、「この世と変わらぬ世界で暮らしていく」と書いています。さらに、「変わらぬ世界で暮らす際、自分が行きたい場所へ移動し見聞を広げたり、会いたい人に会ったり、趣味の世界に没頭していく」とも。そして、「あの世はこの世に今後生まれる姿かたちや物を開発していて、その状態をこの世の人々にテレパシーで送ってこの世で現実となるようサポートしている」と発表しています。

 

と言う事は、死ぬ瞬間人は「経験したことのない世界を体験=冒険の世界」し、その後「自分の過去を振り返り=歴史」反省と郷愁を覚える。そして、「瞬時に行きたい場所、会いたい人に会えるファンタジーの世界」に入り、「人として生きた時代のはるか先に生まれるだろう未来を見る」という事です。

 

この学説とウォルトが伝えてくれたことを照らして考えてみると合致している事がわかります。

ディズニーランドはこの世に生まれたあの世。

だから、国籍を超え性別を超え年齢を超えて多くの人々が足を運びたくなる場所として存在していたというのです。

 

さて皆さんはこの話どう思われますか?私はこの話を聞いた時鳥肌が立った記憶が鮮明に残っています。

他にも数多くのお話があり、不安だった心が安心に変わり、やる気に変わっていたのです。

そして、あれから34年。今でもディズニーランドにウォルトが立っていてくれたら良いなぁと思っています(笑)

 

これで私の不思議なお話は終了です。いかがでしたでしょうか?

一人の人間が多くの不思議を体験した事に何か感じていただけましたでしょうか?

読まれた方の中には、信じていただけない方もいらっしゃるかもしれませんが、私は30回事実を書かせていただきました。そして、その体験を通して自分が形成されて来た事も事実なのです。

これからも、多くの不思議を体験するかもしれませんが、素直にその意味を噛みしめながら自分の人生を真っ当に生きていきたいと思っております。

 

今後は「ひとりごと」というブログに統一していきます。不思議な体験もそちらに書かせていただくかもしれませんので、その際はよろしくお願いします。

長らく読んでいただきありがとうございました。


2017/04/24 私の体験した不思議なお話㉙

 

この不思議なお話も29回目を迎えました。次回で30回となります。そこで、30回を目途に一度終了しようかと思っています。まだまだ不思議なお話を体験したのですが、私の体験話より「ちょっと面白いお話」とか「ハッピーなお話」と日常の中で目撃したもしくは体験した内容にリニューアルしてみたいと思います。

どんな内容になるのかは私自身わかりませんが、週の初めに読んでも疲れない内容にできたらなぁと考えていますので、リニューアルしてもお付き合い下さい。よろしくお願いします。

ということで、この不思議なお話も後2回と言う事もあり、ディズニーがらみのお話を2回連続でお届けいたします。

 

これからお届けする不思議なお話は私が見たとか感じたとかというお話ではありません。東京ディズニーランド開園前にあるマネージャーからお聞きしたお話です。あまりにも私にとってちょっと怖くて、面白くて、安心したお話でしたので記憶に残っているし、そのお話のお陰で34年間も仕事を頑張ってこれた内容なんです。

 

お話の結論を先にお伝えすると、「ウォルト・ディズニーが東京ディズニーランドの入園口に立ってゲストを招いてくれたから、今の成功がある」と言うお話です!

結論と言ってもこれだけ読むと「なんのこっちゃ??」って感じですよね(笑)でも、私はその方からオフィシャルホテルのレストランで約4時間かけてお聞きしたお話通りになって行き、今多くの方々が評価してくれている東京ディズニーリゾートの初期を形作ったと確信しているお話なんです。ただ、あまりにも長いお話ですのでコアな部分だけ2回に分けてお話させていただきたいと思います。

 

その当時東京ディズニーランドの前評判はそれほど高いものではありませんでした。どちらかと言うと世の学者さんや評論家の皆さんはバッシングをしていた時代でした。例えば、「高い建設費は回収できない」とか「お弁当持ち込み禁止など日本の行楽状況を理解していない」とか「年間1千万なんて入るはずがない」等など。新入社員で開園1年前に入った私も親戚に「そんなとこに入って大丈夫か?」と言われる始末。ですから、マネージャーに教えてもらった不思議なお話は私にとって不思議ではあるものの勇気をいただけた内容だったのです。

 

最初マネージャーは私に「松本さんは霊的な世界を信じられますか?」と問われました。このブログでも書いたように多くの体験をしてきたので「私は体験をしてますので信じています」と答えたのです。そうすると「では、私がウォルトから伝えてもらったことをこれからお話しますね」と言ってくれたのです。

それによると「寝ていると、突然誰かに起こされたんです」と語り始めてくれました。

「誰かが私を起こしていると気づいて眼を凝らして上を見ると、そこにはウォルトディズニーが立っていたんです」「えっ!」私がチャップリンに起こされた時と同じ状況だと驚きました。

「ウォルトが開口一番私に告げたのは、今日本の人たちがディズニーランドについて疑心暗鬼になっていますが、大丈夫ですよ。私が入り口に立ってゲストをお迎えしていますから。あなた方は人々の幸せの為に日々初演のつもりで頑張ってください」と語ったというのです。そして「日本人のもともと持っている心からのおもてなしをもってゲストに接して行けばみんなわかってくれますから」と優しく伝えてくれたんだそうです。

また「お掃除は大切な仕事です。美しいパークには愛がたくさん集まりますから」とも。

 

さて、いかがですか?皆さんはこのお話を信じますか?信じがたい話だとは思います。でも、その時マネージャーに私は真剣に夢枕に立ったウォルトの言葉を教えてもらっていたのです。

では、次回もこのお話の続きをお届けしますね。

 


2017/04/17 私の体験した不思議なお話㉘

 

本日講演会を開催してきた関係で、月曜日を少し過ぎてしまいました。申し訳ありません。

今真夜中ですが頑張って書かせていただきますのでお読み下さい。

 

さて、今日の不思議なお話は今から約25年前のまだ家を建てて間もない頃のお話しです。

当時、私が32歳で奥さんが28歳、子供は3歳の娘がまだ一人という時代です。

若くして家を建てたものですから、毎日夜になるとお金の事で少し夫婦で言い争いをしていた時代でもあります(笑)

家のローンの事。ローンを抱えながら娘の塾の事。親と同居をした場合のお金の配分等々。将来の事を考えるとお金が必要な事ばかりが二人の頭をよぎり、折角家を建てたのに不安がお互いの心に余裕を無くしていたのです。

たぶん、今の若い夫婦の皆さんも将来のお金の算段を考えると不安に成ると思うのですが、当時私たち夫婦もそんな日常を送っていました。

 

ある日の夜、同じように言い争いをしていると、突然、開き戸がガタンと大きな音を出し外れ床に倒れたのです。

最初は、家を建てたばかりだったこともあり「おいおい、あの建具屋ちゃんと開き戸を調整しないで!明日文句を言ってやる!」なんて感情の高ぶりの勢いのまま大声を出していたのですが、開き戸を改めて基に入れ直して見るときっちりと入るではありませんか!

つまり、建具屋さんは別にいい加減な仕事をしていなかったのです。入れ直してから何度か外れるのか力を入れてはずそうとしたのですが「良い仕事をしてますねぇ!」って感じで全く外れることがありません。人為的な理由で外れないことが理解できたのです。・・・と言うことは・・・そう解ると「なぜ?」と頭が混乱し「もしかして!?」と夫婦で体から血の気が引いてしまいました。

「金がないないなんて言ってるんじゃないよ!地道に稼いで貯めれば良いじゃない!」と誰かに言われているようで、その夜怖くてあまり寝られなかった記憶があります。

そんなことをしたのは亡くなった父なのか祖父なのか、はたまた、守護霊様なのか誰かはわかりませんが、余りにもお金の事ばっかり言っている私たち夫婦に冷静になって将来を考えろとばかりに開き戸を利用して教えてくれたのかもしれません。

 

その後の私たちは余りお金の愚痴や不安を口に出すことをしなくなりました。「金は天下の回り物。使えば戻ってくるさ」とばかりに「生き金」を使わせていただいています。その甲斐あってか(笑)開き戸もそれ以降外れることがありません。

でも、しかし、不思議なもので会社を辞め、今後のお金の不安をつい先日夫婦でしたのですが、なんとまた外れてしまったのです。怖いやら、ありがたいやら、いつもいつもどなたかに守られているようで不思議ですね。


2017/04/10 私の体験した不思議なお話㉗

 

今日のお話はヨガの体験をした時の不思議なお話をしたいと思います。

皆さんの中でもヨガをされている方はいらっしゃると思うのですが、私が初めて経験したのは自律神経を治すために通ったいた時ですので今から22年前の35歳位の頃です。

この不思議なお話でも書きましたが、その当時初めて「氣」というものの存在を見た時期とほぼ同じ時期になります。

最初は基本的なポーズから教えていただき、次に呼吸の仕方などよくテレビで見る形や手順などを教えていただきました。

そして少し日にちが経った頃、六角水晶なるものを使用しながら自然治癒力についての講座と体験と進んでいきます。この六角水晶は先生に実際の使い方などを行ってもらう方法を取りました。

まず先生が、水晶を私の両足の裏にあて瞑想状態になりその水晶の力を借りながら氣を私の中に入れて行くという内容です。

最初は半信半疑で目をつむって静かにしていると、突然足の裏が暖かくなり徐々にその温かさが上の方へ浸透して行きます。そのうち体全体に氣が回ったのか、汗がじわっと出て来てしまいました。その時身体はまるで温浴をしているようで気持ちがよく、身体の邪気が全て出て行ってくれた様な思いがしたものです。

終了後その事を先生にお話すると「六角水晶は自然治癒の手法によく用いられるもので、松本さんが感じたことは本当の事だと思いますよ」と教えてくれました。その先生が良いところは、その体験をした後、六角水晶を売りつけなかったことです(笑)腹黒い方なら売りつけられているところでした。それだけとても心地が良かったのです。

皆さんも水晶を利用して気の流れを正常に戻し自然治癒力を活性化してみてくださいね。とても気持ちの良いものですよ。

 

さて、今日の不思議はお話は以上です・・とはまだ行かないのです(笑)

実は今日のヨガのお話で一番お伝えしたかったのはこのお話ではありません。その六角水晶で体験した後もっとすごい光景を見てしまったことなのです。

その光景は隣の部屋で起きていました。私がその日の教室の時間が終わり帰りかけた時、隣の教室に目をやると気功の授業をしていました。その中のお一人の女性は、丸い大きめの透明な水晶をヨガのポーズの前に置き、目をつぶり水晶と同化するように呼吸法を行っていたのです。そのポーズはどこにも無駄がなくとても美しい姿だったので少し眺めていたのですが、突然水晶から白い湯気のような煙のようなものが立ち上がってきて、そのままその女性の頭の上から身体に入って行くではありませんか!その様子はこの世の現象ではない状態で、呆気に取られてしまい口を半開きのまま見入ってしまいました。その後もその白い物は水晶と女性との間で行き来しているように見えました。

余りにも凄い光景だったので私のヨガの先生にあれは何ですか?と聞いてみると「純粋な水晶を利用した気功です。あの方は長い間通っている生徒さんですよ」と教えてくださいました。その後「松本さんは氣が見えるのですね」と言われ「少しだけですが」と答えていたのです(笑)

 

それにしても、あの光景は後にも先にもあの時だけ。気功は凄い!と改めて感じた時間となりました。

本物の水晶とその使い方の技を会得できれば氣の良い循環が可能となり、身体の活性化に役立ちますので興味のある方は試してみてください。因みに私はほとんど女性の生徒さんしかいない教室に行くのが恥ずかしくなり自律神経の病が治ってからはヨガや気功にはまることはありませんでしたけど・・(笑)

2017/04/03 私の体験した不思議なお話㉖

 

4月になりましたね。4月の最初の月曜日と言う事もあり世の中は企業の入社式のニュースで盛り上がっています。前回少し怖いお話をしたので今週は私の入社時の「ずぼらな学生気分の抜けない心から前向きな心になった」という不思議なお話をしてみたいと思います。

 

皆さんは企業への入社というとどんな言葉を思い出しますか?例えば「フレッシュ」「ワクワク」「社会人への不安や挑戦」あと「期待」なんかもあるかもしれませんね。

私の場合はというと学生から社会人への胸躍るような期待感はほとんどない人間でした。「あ~あ。ついに学生が終わって自由じゃなくなってしまったな」とか「社会人なんて務まるのかよ」なんて考えていたずぼらな若者(バカモノ)だったのです。そんな私が一番嫌だと感じていたのは「朝同じ時間に起きて電車に揺られ、会社に行く」事でした(笑)

 

そんな気持ちになったのには理由があって、チャップリンのモダンタイムスの冒頭の映像にサラリーマンが地下鉄から地上に出てくるカットがそのまま豚の大群に変わるというシーンがあるのですが、その意味を「企業に雇われている労働者はいつか食われる豚と一緒」と思ってしまっていたからなのです。自由がなくいつかは自分の肉を食べられてしまう豚。ですからいつかは俺もある意味周りに流されて「豚になるのかぁ」なんて考えていたからなのです。

今その頃の自分に会えたら「何バカな事を考えているんだ!豚になるかどうかは自分次第。もっと夢をもって動け!」って叱っているかもしれませんね。

 

そんな心のまま入社式を迎えたのですが、その頃のオリエンタルランドはまだ東京ディズニーランドも開園してなく、社屋もプレハブでしたので自社で入社式を行える場所がありません。そこで、浦安市の文化会館を利用して行わせてもらっていました。また、その後の研修も公民館などを利用させてもらいながら進められていきました。

 

しかし、その入社式と研修で私にとって意外な世界を感じる事になります。

 

そこに集まった若者はみんなキラキラ輝いていて、来年日本にディズニーランドが出来る夢の一員になる期待感や挑戦欲などを胸いっぱいに詰め混んでいる若者ばかりでした。

そんな夢へのチャレンジを持っている同期たちはキラキラ輝いて見え、ずぼらな私も一日一日感化されていきました。

さらに、役員や先輩たちからも夢へのチャレンジ欲を感じるし、社長の高橋さんからも「日本の娯楽を変えよう!」と入社式で夢の共有をされるしと感化されっぱなしの日々を送っていきます。

そんな日々を送っていると私の心にも「やる気」と「夢の実現への挑戦欲」が生まれて来てしまったのです(笑)

 

心は「ころころ変わるからココロという」と以前このブログでも書いたと思うのですが、まさに私の心は周りの人たちによって夢を持った前向きな心に変化して行きました。

変化してくると不思議なもので、朝起きる事や同じ時間に電車に乗ることが嫌ではなくなっていきます。また、電車から降りる私は豚ではなく「企業戦士」「チャレンジャー」になって行ったのです(笑)

今思うと本当に不思議な現象が私の心に起こってしまいました。

 

さて、今日の不思議なお話はいつもと違って「生身の人間の心は自分の力だけでなく、周りの人の力によって変えてもらうことができる」というお話をさせていただきました。

是非、これをお読みになっている新入社員の皆さん!今どんな心で社会人の一歩を踏み出されたかはわかりませんが、夢をもって前向きに生きる事を感じられる環境に自ら置くことが出来れば皆さんも大きな変化を感じる事が可能になると思います。これからの幸せな日本を創る一員として心を明るく前向きにして一歩一歩歩んでいってくださいね。頑張ってください!


2017/03/27 私の体験した不思議なお話㉕

 

3月も最終週になりました。桜の開花宣言が東京であったのにとても寒い日が続いています。でも寒いのはおっさんの私だけなのか、春休み真っ只中の我が地元の舞浜駅は東京ディズニーリゾートへ遊びにきた子供たちで連日大混雑です。寒さより楽しいディズニーなんでしょうかねぇ(笑)

さて今日の不思議なお話は、私が結婚して1年位経った頃の不思議なお話をお届けします。

 

丁度その頃私はアメリカ出張の話が出ている時でした。初めてアメリカのディズニーに行けるチャンスだった為に心はウキウキ、ソワソワの毎日でした。そんな心が上ずっていた時、父の弟、つまり私のおじさんが病に倒れ亡くなってしまいます。

このブログでも何度か書いたようにその当時父方との縁を切りたかったという思いがあり、葬儀にも出ず自分の事=アメリカ行きの事ばかり考える毎日でした。そんなある夜、テレビを見ていた時不思議な怖い体験をしたのです。

 

皆さんは姿形は見えないのに誰かの存在を感じる事ってありませんか?「誰かいる!」っていう感覚です。

私はテレビを見ている時突然その感覚に襲われました。間違いなく誰かが後ろにいたのです。何度も何度も振り返ってみるのですが目には見えません。でも絶対にいる。

そうこうしていると、部屋の中で「バチ!バチ!」と音が鳴りだしたり、サッシが「カタカタ」と鳴り出したり(笑)まるでホラー映画の様になってしまいました。

で、怖いので「寝てしまえ!!」と布団に入った瞬間、飛行機に乗ることが恐ろしくなり心が震えだしたのです。

心が震えだす感覚ってなかなか理解してもらえないと思うのですが、怖くて怖くて体中に震えが出てしまったのです。あれほどアメリカに行けることがうれしくてウキウキ、ソワソワしていたのにです。見えない誰かの存在を感じ、超常現象が起きた日の夜に心はうれしさから恐怖のど真ん中にたたきつけられました。

眠れないは怖いは、どうにもならない時間が過ぎていきます。ついにそのまま夜が明けてしまいました。

ただ、その現象によってアメリカに行きたくなくなってしまい、結局、会社に迷惑をかけてアメリカ行きを辞退させていただきおじさんの墓参りに行かせていただきました。本当にアメリカ行きを辞退したのは残念でしたが、恐怖から解放されてホッともしたのです。

 

今思うとおじさんが私を叱りに来たのかもしれないと思っています。なぜなら我が松本家に男は私だけ。その私が「葬儀にも来ないとは何事か!アメリカより俺の葬儀だろう!!」って(笑)

生きている人も怒らせると怖いですが、死んだ人を怒らせるともっと怖い!そんな体験でした(笑)

 

皆さんも亡くなった方と言えでも魂は存在していますので、無下にしたりしちゃいけません。肉体がない分どこにでも来てしまいますので(笑)ちゃんと供養してあげてください。そうじゃないと私と同じように超常現象という怖いお仕置きをされてしまうかもしれませんよ。

でも今は本当に心底反省しているのです。本当に申し訳なかったって。

お陰様で最近は怖いことが起こりませんので反省した心を理解してくれている・・・と信じています(笑)


2017/03/20 私の体験した不思議なお話㉔

 

お彼岸ですね。「暑さ寒さも彼岸まで」。やっと暖かくなる節目の時期がやってきました。暑くなるのはしんどいですが、寒さが和らぐ季節はうれしい限りです。

さて、今日の不思議なお話は前回父があちらの世界で導いてくれたかもしれないという建前のお話をさせていただきましたが、もう少し時間を遡り父が亡くなった直後の不思議な夢のお話をしたいと思います。

 

前回もご紹介したように、父の葬儀は行ったには行ったのですが、それまで家族に苦労をかけてきた為に、私自身亡くなってもなお父を憎んでいましたので、仏壇を置くことをしませんでした。

「別に仏壇なんて置いても置かなくても関係ないでしょ」と考えていましたし「毎日拝んでやるもんか!」と言う気持ちが強かったのです。そんな日が何日か経った頃、朝目覚めると奥さんがおかしなことを言うのです。「ねえねえ、夢にお父さんが出てきたよ」と。とりあえず気になったので「どんな様子だった?」と聞き返します。すると「少しやつれた顔で、お水を一杯くれないかって言われた」と教えてくれました。

憎んでいるものの、やはりその言葉が気になってしまい、どういう意味なんだろうと困惑していると奥さんが「実家の母に聞いてみるよ」と言ってくれたのです。ここは人生の先輩に相談した方が得策だと考えた私は早速奥さんの実家に出向き、夢のお話をさせていただきました。

すると、義理の母は「それは供養して欲しいと言っているんだよ。仏壇作ってあげたら?」と助言してくれたのです。義理の母の言葉ですからそこは素直に仏壇を設置することになるのですが、これぞ仏壇!と言うのはやはり置きたくなく、何かそれらしきもので供養できないだろうかと考えていると奥さんが「本棚を仏壇にしたら?」とアイデアを出してくれたのです。「それは良い!」と思った私は家具屋に出向き、白木の安い本棚を買ってきました。棚は取り除き戒名とお茶、お水を置くだけの仏壇を作りました。そして、魂入れと言うお経もあげていただき、我が家なりの仏壇が完成します。

この仏壇を作るまで何度か夢に父は現れたようですが、仏壇設置後は不思議と現れなくなりました。少しは仏壇の中で落ち着ける場所を見つけられたのかもしれません(笑)

 それにしても、なぜ私の夢ではなく1回しか会ったことがない奥さんの夢に助けを求めに来たのでしょう。きっと私の夢に出てきても仏壇を設置してくれないと思ったからかもしれません。奥さんだから仏壇を作ってくれると思ったのだとしたら、失礼なお話ですよね(笑)

 

ところで、皆さんの家に仏壇ってありますか?仏教の世界では「あの世とこの世の出入り口」が仏壇と言われています。ですから、亡くなった方やご先祖供養をお考えの方はどんな形であれ仏壇を設置されると良いみたいです。日々生かされていることに感謝する場としてあるとホッとしますしね。

因みに我が家は、神棚と仏壇はいつもセットで飾り日々の生活に感謝する場となっているのです。


2017/03/13 私の体験した不思議なお話㉓

 

先週休んでしまい、2週間ぶりの不思議はお話をお届けします。

前回父の最後の面倒を見てくれた親分のお話を書かせていただきましたが、多くの苦労を家族にかけて死んでいったのですから最後の最後まで面倒を家族にかけていった父でした。

そんな家に育つと、自分の力で自分の夢を築いて行かないといけない宿命を負わされます。ですから、時には「二代目は良いな」とか「兄弟がいると良いな」など自分にないものに憧れを持つことが正直あります。でも、二代目は二代目の苦労、兄弟は兄弟がいる苦労があることを聞かされると、今の自分の環境で精いっぱい生きていかなくてはならないと言う事を再確認するのです。

この不思議なお話でも書かせていただきましたが、私の幼い頃からの夢の一つは戸建ての家を建て家族が笑顔で暮らす事。そんな素朴な夢が私にとっては大きな夢の実現でした。

 

私がそんな夢を叶えたのが31歳の時。夏が終わりかけの9月の事でした。

 

最近ではあまり見かけなくなりましたが、家の土台ができ柱を立てると「建前=上棟式」と言って近所の皆さんに家の2階から餅やお菓子などを投げてお披露目をしたり、大工さんや家族たちが集まってまだ壁や屋根のない場所でお酒やご馳走を食べてお祝いをします。

我が家もそんな「建前」をさせていただきました。今その時の写真を見返してみると全員が笑顔で本当にうれしそうに映っています。私も心から幸せな時間を過ごさせていただきました。

 

幸せ一杯の建前が始まり、30分位立った時叔母が一言「あれ?!今日は浩一のお父さんの命日じゃなかった?」と大きな声を張り上げたのです。「確かに!」と私は答えていました。

皆さんは信じられないと思いますが、父の事は亡くなってからほとんど忘れていたといっても過言ではなく命日さえも忘れていたのです。それだけ、私にとっては良き父ではなくどちらかと言うと憎くべき父。

そんな父の事など死んでも縁を切りたかったというのが本音でした。ですから、父の命日に建前をするなんてことは誰も意図せず行われたという事なのです。

 

さて、皆さんはこの状況を次の内どちらと思われますか?「全くの偶然」もしくは「父の導き」。偶然だとしても、偶然は必然と言う言葉もあります。私は父の導きだと考えることにしました。父が生きている時は何も出来なかったので、死んでから夢を実現できるよう導いてくれたと。

その後、家の中にはちゃんとした仏壇を飾り命日を忘れないように過去帳で確認できるようにさせていただいています(笑)

あっ!そういえば、仏壇の前で娘が写真を撮ったのですが、たくさんの「オーブ」が映っていたのです。あちらの方々も喜んでくれていたのでしょうかね(笑)


2017/02/27   私の体験した不思議なお話㉒

 

私の著書「学校もテーマパークだ!」や「夢創造商店会のHP」でも小学校4年生が化身として私の人生を変えてくれたお話を書かせていただきましたが、今日の不思議なお話はもう一人の化身、新聞屋の親分のお話を書かせていただきたいと思っています。

新聞屋の親分と言っても、皆さんは何のことだかわからない話で恐縮ではありますが(笑)、私が二十歳まで我が家は父がサラ金に多額の借金があり、ニュースで言うところのサラ金地獄の家庭でした。

高校時代は酷いもので、毎日毎日取り立て屋が来るは、夜通し電話が鳴りっぱなしだはと、それはひどい有様で、結果親は離婚、家庭崩壊をした家庭となりました。

 

親が離婚後は穏やかな母子家庭となり(笑)会社に就職し結婚をさせていただくのですが、私が25歳の時父が病死したと知らせが届きます。

当時、父は行方知らずだったのですが、千葉県の市原市のある新聞配達所で働いていたようでその配達所のご主人から連絡をいただきました。(ご主人は昔のヤクザの親分のような義理人情に厚い方でしたので親分と書かせていただきます)

その親分が父と話をしている中で一人息子がいることを知って連絡をくれたと話してくれました。

 

一人息子としては親が離婚したとはいえ父は父。どんな嫌な思いを受けたとしても葬儀と納骨はするのが義務と思いその親分に感謝しつつ葬儀と納骨の一切を取り仕切ることになります。

 

その最中親分が一言次のように私に耳打ちをしたのです。「浩一君、財産放棄を早く済ませておいた方が良いよ」と。私は何の事なのか理解することができず聞き返します。「財産放棄って何ですか?」。すると親分は、「親の財産は借金も財産となって、相続の対象になってしまうんだ。だから、浩一君に借金が来ないように千葉の裁判所に行って放棄の手続きをしないといけないよ」と。

その教えを受け、葬儀と納骨を済ませるとすぐに裁判所に出向き、手続きを済ませる事になります。その後、数件私に取り立て屋から連絡が入りましたが、裁判所の確定通知を送ると一切連絡が来なくなったのです。

今思うと、親分の一言が私の暗い過去を清算させてくれたんだと思っています。

 

しかし、今その親分に連絡を取ろうとしても連絡先がわかりません。どこの新聞配達所かもわからないのです。親分も店も電話番号も教えず、ただ当日挨拶をさせていただいただけ。私自身なぜ聞かなかったのか悔やんでいますが、その時分けがわからないまま、言われたまま動いていて精神的にも混乱していたからかもしれません。本当に不義理な事をしてしまいました。

ただ、当時の精神状態を思うと早くその状況から逃げたかったのだと思います。さんざん苦労させておいて最後も面倒をかける父に憤りを持った若者(ばか者)だったのです。

今冷静になって考えると恩人の親分には大変申し訳なく思っています。

 

それにしても私にとって親分は化身そのものです。

もし、あの時連絡をもらっていなかったら。もし、あの時財産放棄の事を教えてもらえなかったら。そんな風に思うと人生の中で何度か救ってくれる人や言葉があるのだと改めて思います。

姿形は見えないけれど、人生の分岐点にいつも見えない誰かが何かを使ってサポートをしてくれているようで、日々感謝の毎日です。不義理な私ではありますが、それ以降不義理はしないよう出会う人や情景、物などあらゆる出会いに感謝しながら生かされているのです。


2017/02/20   私の体験した不思議なお話㉑

 

昨日娘が結婚式を挙げました。そして、2週間後には息子が結婚式を挙げます。2人の私の子供がほぼ同時期に結婚式を挙げることになりました。そこで、今日の不思議なお話は我が家の愛犬ルナが結婚相手を選んだかもしれないというお話をしたいと思います。

 

このルナは、どちらかというと吠える犬です。決しておとなしい犬ではありません。飼い主の私や奥さんにも機嫌が悪いと吠えかかるような犬です。ですから、外に散歩をしている時も愛犬家の方が寄ってこられて手を出す気配があるといつもヒヤヒヤしている、そんな犬なのです。

実際、「可愛いわね」と言葉を掛けながら手を出すご婦人にも噛みそうになったことが何度もあります。はた目から見ても気立てが良さそうで犬好きなことが解るのにです。いつも噛みそうになるとこちらから遠避けてしまうのが悪くて悪くて、本当に申し訳なく思っています(笑)

 

そんなルナなのですが、今回縁をつないでくれた我が娘、我が息子の相手に対しては初めから吠えることなく、どちらかというとルナが自ら寄っていきお腹をだしてなついていきました。その後も何度か家に遊びに来てくれると膝に飛び乗ったり、顔をなめたり、まるで飼い主の様に甘えるのです。その姿を見た時本当に不思議な気持ちになったものです。

 

犬の専門家でもないのでどうしてなのかは判りません。判りませんが、私にとって結婚相手の二人への感情はこのルナのお陰で最初から愛着を持つことになりました。

 

犬は本能で自分の敵かどうかを見分けると昔聞いたことがあります。もし、それが本当ならルナは最初から結婚相手になることを理解していたのかもしれません。そして、このルナのお陰で私も奥さんも結婚相手に対してマイナスな感情を持つことなく、素直に受け入れることが出来たのです。

 

今回目の手術をして片目だけでも見れるようになった愛犬ルナですが、これからも新しい家族の和を紡ぐ手助けをしてくれると信じています。ありがとうルナ!


2017/02/13   私の体験した不思議なお話⑳

 

今回20回目の不思議なお話です。ここまで不思議なお話を書いてくると改めて不思議なことが私に多く起こったんだなぁと感慨深い気持ちです。まだまだありますので、もう少しこの不思議なお話は続けさせていただきますのでもう暫くお付き合い下さいね。

今日のお話は区切りの20回と言う事もあり皆さんにとっても価値あるお話をしたいと思います。題して「人間も発光する」です。

 

皆さんは、人が発光すると聞くと何を思い浮かべますか?「肌や髪の毛がつやつやさらさら」とか「歯が真っ白」とかでしょうか。確かに、美しい人を思い浮かべると肌艶が良かったり、歯が真っ白だったりしますよね。(笑)

でも、発光ですからある部分から光が外に出ていく現象を指します。

その部分とは、みぞおち辺り。つまり「心が輝いて光を外に向かって出す」ことを言うのです。

 

何を訳のわからない事を言っているんだ!なんて怒らないでください。本当の事なんですよ。実際私は何度も見ています。

例えば、会社で結婚や昇進が決まった同僚だったり、ディズニーランドやシーで楽しむ多くのゲスト達から。

ですから、発光する人は特別な能力者でもなんでもなく、一般の人たちなのです。その方法さえわかれば皆さんも発光することができます。発光すれば人生が明るくなり、毎日が楽しく、生きている喜びを感じることができるんです。

 

少し理解してもらう為に視点を変えましょう。

チャクラと言う言葉を皆さんは知っていますか?ヨガをしたことがある人はすぐわかると思うのですが、人には7つの氣の出入り口があります。(正確には9つらしいですが)その7つの内みぞおち辺りのチャクラを第三のチャクラと言います。

このチャクラは自分に自信を持ったり、自愛を促進する場所なんです。自分にとって良いことが起きたり、ポジティブな気持ちになるとこのチャクラが作動して光が外に漏れていきます。傍から見ていると発光しているように見えるわけです。

 

では、どうすればこのチャクラを活性化し発光させることが出来るのかですが、とにかく楽しいことを思い浮かべその為に行動し結果を出していけば発動することができます。

勿論、その過程は苦労することもあるかと思うのですが、その際言葉が重要になります。決してネガティブな言葉を吐かないこと。言葉は言霊となって心に響きますから、ネガティブな言葉も響いてしまいます。いつもポジティブな言葉を辛くても吐いていれば、自然と心は喜んでくれ、結果もポジティブな現象が起きてきます。そうすれば心が発光し始め周りの人たちもその光を感じ取り、闇の中の光に吸い寄せられるように集まってきます。

この現象は、あの東日本大震災の時のディズニーランドやディズニーシーでも見ることが出来ました。正にディズニーのテーマパークは多くのゲストの放つ光によって輝いていたんです。

 

さぁ!皆さんも今日からポジティブな言葉を活用し、心を喜ばせてあげてください。そして、自ら光を放ち多くの人たちから素敵な縁をもらい、楽しい人生を歩んでくださいね!!


2017/02/06   私の体験した不思議なお話⑲

 

今日の不思議なお話は私ではなく友人のお話をしたいと思います。

この友人は小学校からの悪友で、私たちのリーダー格の俗にいうガキ大将でした。いつも遊びの真ん中には彼がいて良いことも悪いことも一緒にしていた仲間でした。

でも、とにかくいたずらをすることが大好きで、畑のネギ坊主を全部取ったり、肥溜めに石を大量に投げ混んでは農家の方に追いかけられたり(笑)。また、神も仏も信じる子供ではなく、墓におしっこをかけて喜んでいたり、私の家の仏壇に上って飛び降りたりとやんちゃし放題の悪ガキ大将だったのです。いつも隣で見ている私はヒアヒアして、私はやってもいないのに一緒に逃げ回っていました(笑)

 

そんな彼とは大人になるまで一緒に育ったのですが、大学時代のある時その彼から電話がかかってきました。いつもの様に遊びの誘いかなと思って話を聞いていると「ちょっと怖いことが起こったので一緒に教会に行って欲しいんだ」と神妙な声。そんな声を出す奴ではないので何事が起ったんだと彼の家に急いで行ったのです。

 

そして、次のような不思議な話を聞くことになります。

 

「どうしたんだよ?何が教会だよ。お前頭おかしくなったんじゃないの?」といつもと違う雰囲気を感じた私は彼の家に着くなりそう伝えていました。

すると彼は「実は昨日の夜、庭でいつもの様に小便をして寝たら、夢に木の精霊とかいう奴が現れて”庭木に小便なんてするな!”と怒られたんだ」と少し青ざめた顔で語ったのです。

「夢に出てきた木の精霊って何?」と最初は疑ったのですが、この不思議なお話でも書いたようにその世界については少し理解していたつもりだったので、「あってもおかしくないな」と思いつつ話の続きを聞くことにしました。

「怒られた後”今のままの生活では駄目だ!朝起きたら〇〇丁目の教会へ行け!”って変な事を言うんだ。なぁ、一緒にその教会に行ってくれないか?なければただの夢だと思うからさ」と懇願されました。

 

そこで、その話を半分信じ半分疑いつつ彼と一緒に夢の精霊!?が言っていた場所の教会を探しに出かけました。

結果は・・・あったのです。その夢の精霊が言っていた住所に教会が!!

地元に住んでいながらその場所に教会があることを私も彼も知りませんでした。でも間違いなくありました。

そして、恐る恐る教会の中に二人で入っていくと、笑顔の牧師さんとお仲間が歓迎してくれてカレーライスを振舞ってくれたのです(笑)事の次第をお伝えたしたところ、牧師さんは快く受け入れてくれその時から親交が始まっていきます。

 

その後の顛末ですが、その悪ガキだった彼は今プロテスタントの牧師になっています(笑)そして私は、私はどの宗教にも属さない無宗教の信心者となりました。

でも、本当に不思議です。あの彼が、あの本当に悪ガキだった彼が、牧師になるなんて!

 

ついでの話ですが、彼の誘いでその教会でギター一本のソロコンサートをさせてもらった素敵な思い出があるのです(笑)


2017/1/30  私の体験した不思議なお話し⑱

 

皆さんは気を見たことありますか?普通はないですよね(笑) 

でも、あるきっかけで私は見えてしまったので今日は「気が見えてしまった!」という不思議なお話をしたいと思います。

 

気と聞くと、「気功とかあるけどホントなのかなぁ」とか「気を入れるなんて言ってるけど、そもそも気って何なのさ!」とか、皆さんは「ほんとにそんなものあるの?」と思っていませんか?私も見えてしまうまで、実体のない意識の世界のものだとばかり思っていました。でも、どうして見えたかと言うと、私が自律神経の病で視力が低下した33歳の時の治療の中で見えるきっかけがあったのです。

 

当時、視力を何とか元に戻したいと悩んでいた時、市内に新しく視力回復センターが出来たというチラシを見つけました。電車にも乗れない時期だったので、歩いて行ける場所にできたという思いとメジャーリーガーも取り入れているという謳い文句に藁をも掴む思いで通うことにしました。

回復センターはほとんどが小学生が通院していて30代のおじさんは私だけ。少々恥ずかしさもありましたが、治したいという思いの方が強く約1年程通わせていただきました。治療方法は「ツボ押し」や「呼吸法」などヨガや気功を取り入れているものだったのですが、ヨガの経験が少しあったせいか私自身すんなりと溶け込むことができたのです。

 

通院し始めて約半年ほど経った頃、会社帰りに回復センターに行った時「その時」は訪れます!

 

その日は、夜も遅かったので子供たちはいなくセンターにいたのは私と先生そして補助の方3名だけでした。先生が「今日は松本さんだけなので、面白いことしましょうか」と言われました。何が始まるんだろうと少し緊張して待っていると、「松本さんって気を見たことありますか?」と切り出してきました。頭の中は「はぁ?」って感じで「何を言い出すんだよ、この先生は?」と怪訝な顔をしていると、「実は気は見えるんですよ。見たいと思いませんか?」と続けます。一応営業マンらしく愛想笑いを浮かべながら「見えるものならみたいですけど・・・」と返事をしたら、「じゃ、見ましょう!」と言って「指の先端1センチ位の所を凝視してください」と続けます。「何言ってんだよこの先生は!」と思いつつ素直に(笑)凝視してみることにしました。そして、「見えましたか。白いものが」と言われたのですが、「見えるわけないだろう!」と心で思いつつ「いや、見えません」と返答。「じゃ、見やすいように黒い紙の前で同じように凝視してください」とまたまた続けられます。でも見えません。

 

見えないを連発していた時、満面の笑顔で「松本さん見えないと思っていません?」と切り出してきました。「確かに見えるものではないと思っているかもしれません」と答えると先生が面白い例えを語ってくれたのです。

「今この部屋は3名ですよね。3名の中で気が見える人は私と〇〇(補助の方)の2名。つまり、松本さんだけが見えない人になります。これって、松本さんだけ非常識人ですよね。だったら、見える常識人になりませんか?」と。「俺は洗脳されているのか?」と疑う心を残しつつ、視力を回復したいという思いが勝った為に、えいやっ!って感じで「この部屋の常識人になってやろうじゃないか!」と腹をくくりました(笑)

腹をくくり改めて指先を見てみると・・・見えたんです!!指先から勢良く出ている白い線が。

それは、バーナーの炎の様であり、滝が上に向かう様であり、なんと表現して良いかわからない勢いのある白い無数の線が。

一瞬、体温かなとは思いましたが体温にしては勢いが良すぎます。それを先生を伝えると「それが気ですよ」と答えてくれました。

 

その時悟ったんです。人間は本来見えるものも見えないという常識の中で生きている為に、見えるものも見えていない。人間が作った常識を一度壊して改めて見てみるとそれまで見えなかったものが見えてくるということをです。

今回は気が見えた!というお話を書かせてもらいましたが、この体験の中で一番不思議だと感じたのは「本当のことを見たかったら、自分のブライドやら野心やら何やら一切を忘れ素直に心を磨くことで本当のものが見えてくる」ということです。

 

常識は人が作ったものです。新しいものを創り出すためには、その常識を壊して、まっさらにした心で周りを見渡してみるとそれまで見えなかった世界が見えてくるはずです。是非、皆さんも一度心をまっさらにする時間を作ってみてください。きっと、それまで見えなかったものが見えてくるはずですから。


2017/1/23  私の体験した不思議なお話し⑰

 

今日の不思議なお話は、皆さんにとっては不思議でもなんでもないお話かもしれないのですが、私にとってはとても不思議な感情の体験をしましたのでそのお話をさせていただきます。

 

子供の頃から大人になるまで私は仏像や仏具を見ると恐怖でおののいてる人間でした。仏壇を見るのも怖いしお寺に行くことも怖い。お寺のご本堂にいるのも怖いし、本堂の本尊である仏像を見るのも怖い。異常なほど仏教に関する世界に対して恐怖を感じていたのです。

その理由を問われると、正直自分自身も定かではありません。なぜ、そこまで異常に仏教に関連するものを怖がっていたのか自分自身もよくわかっていないのです。一つ理由をこじつけるとすれば、祖父が死んだ時の葬式の様子が悲しく、死=仏教の世界と感じていたかもしれません。ただ、これはあくまでこじつけで真相は判りません。

でも、その恐怖が一瞬のうちに消えてなくなった「時」があったのです。それが不思議で不思議で、今でもその時の状況を鮮明に覚えているのです。

 

その「時」とは、私の父が死にお寺に亡骸を運んで新婚当時の私と妻が父と再会した「時」です。私の年齢は26歳。

つまり、26歳まで仏教様式に恐怖を持っていたのが私だったのです。

 

父を見た時は「亡骸とはよく言ったもんだ」と父の身体を見てこの中にはもういないと父の死体を見ても悲しさや怖さはなかったのですが、亡骸のある部屋には仏像が20体近く安置されていて、その状況に私の心は震えていました。

しかし、突然妻がある仏像に視線を向け「あの仏様可愛いね」とつぶやいたのです。「仏像が可愛い?なんて気味悪い表現なんだ」と少し機嫌が悪くなりかけたその時、私の目にも可愛い顔の仏像が飛び込んできました。「確かに可愛いね。ホッとする顔立ちだね」と妻に答えていたのです。そんな風に仏像を見て感じたことは生まれてから一度もなかったので、私には不思議な感情でした。そして、残りの仏像を見渡すこともできたのです。見渡してみるとそれぞれ表情が違い、それぞれ趣のある顔立ちの仏像が私たちを見守ってくれていました。私にとっては初めての感情と行動であの日は一生忘れない「時」となっています。

 

その時から、嘘のように仏教様式に対して、仏像に対して恐怖を感じることがありません。

最近は仏像ブームが続いていると聞きますが、あの一瞬から私も仏像への興味が生まれ、今では神社仏閣フェチとなっています(笑)本当に人とは何かのきっかけで変われるものなんですね。


2017/1/16  私の体験した不思議なお話し⑯

 

最近自律神経系の病の人が多いですね。精神科医療に関する基礎資料によると精神障害を理由として医療機関を訪れる人々の内「気分障害、ストレス関連障害」の通院患者の増加が顕著で、それぞれ全通院患者の33%, 22%と両者で55%を占めているようです。また、心療内科の数も1996年662か所だったのが2015年には 2421と365.7%も増加しています。

現代はストレス社会だからしょうがないのかもしれませんが、それにしても患者数、病院数の増加に驚いてしまいます。

 

なんて客観的に始まりました今日の不思議なお話なのですが、実は私も30歳に入ってすぐに自律神経の病になってしまったんです。今から約30年前ですから心療内科とういものはほとんどありませんでした。ですから、当時は内科に行き安定剤を処方される程度。他に何も治療してくれた記憶がありません。お医者さんは「会社を辞めれば治るよ」と一言言っておしまいって感じの診察でした。

その時、「なんだよ。医者のくせに治してくれないのかよ」と内心むかつき(笑)「何とか自分で治してやろうじゃないか」とうそぶいていた記憶があります。ただ、自覚症状はひどくて、電車に乗っていたら貧血は起こるし、視力は下がってくるしで、とても不安になっていたのです。もし、今病名を付けられるとしたら「不安神経症」とか「パニック症状」とか言われるんでしょうけどね。

で、とにかく根性で治すことを決めた私は、無理やり電車に乗ったり、視力回復センターに行ったり、座禅や瞑想に行ったり、占いに行ったり等等とにかく行動してみることにしたのです。

ただ、この病は根性だけでは治らない病なんですよね。

そのうち益々悪化してきたので、会社の仕事を事務に一時期してもらって出来るだけ外出しない仕事を選択したり、家ではストレスなく過ごせるように楽しいことをできるだけ行ったりするように努めました。その結果、ゴルフが少し上手になり、気功、瞑想の技をいくつか覚えることが出来ました(笑)ですから、前回ご紹介した「夢の顕在化」の方法もこの時習得させてもらいました。また、頭と心は実は離れていることに気づき、生まれた時に体験したあの世とこの世の世界観の理解度も増えたんです。

 

結局8年ほど治すのにかかりましたが、ただ治っていくきっかけが一つありました。それは、部屋で一人「このまま治らないとどうなっちゃうんだろう」と心の中で弱音を吐いていた時、背後の右の上の方から「大丈夫だよ」と優しい、女性の声が慰めてくれたのです。その声を聴いた時思わず「俺、大丈夫なんだ。治るんだ」という安ど感が身体中に駆け巡りました。駆け巡った後、我に返り後ろを振り向いたのですが誰もいません。当然と言えば当然なのですが。

きっと、あまりにも落ち込んでいたので、天のどなたかが声を聴かせてくれたのだと今では思っています。いつもいつも守ってくれている方が、初めて聞こえるように声を発してくれたのです。

 

そのことがあってから、勢よく病は治っていき、今では視力も回復し、電車に乗って仕事に行っています(笑)

それにしても、あの声はどなただったのでしょう。あれ以来声が聞こえることはありませんが、いつでも見守っていてくれているのだと思うと心強く、安心感の中で生かされています(笑)。


2017/1/9  私の体験した不思議なお話し⑮

 

最近「成功法則」の本が世の中に溢れていますよね。そのほとんどはマーフィー教授の理論ととても似ていると思いませんか?もっと遡れば、1910年に初刊行されたウォルトD.ワトルズの「富を手にするただ一つの法則」やジェームズ・アレンの内容とも似ています。今の方が、それを真似たとは言いませんが、読んでいると似ている気がしているのは私だけなのでしょうか。

別にここで似ていることを書きたいのではなく、聖書の「信じる者は救われる」ということが書きたいのです。私がマーフィーの書物を最初に読んだのは昭和59年、1984年でした。その時の感想は「あっ!俺やってる」だったんです。つまり、マーフィー教授の言われていることは「自分の成りたいものや、欲しいものを潜在意識に肯定的に語り掛け、繰り返し成りたい自分を想像していけば、必ずそうなる」というものでした。でも、なぜそのような本を手にしたかということ、どうしても欲しいものが2つあったからなんです。当時の二つとは「家」と「家の復興=松本商会の復興」でした。

 

今日は不思議なお話の前書きが長くなってしまいましたが、もうすでに私を少し知っている方はお分かりだと思うのですが、31歳で戸建てを持ち、57歳で松本商会は立ち上がりました。つまり、潜在意識の力を信じ、繰り返し念じていけば必ず欲しいものや成りたい自分なれるという体験を私はしたのです。

殆どの方は、潜在意識に語り掛けることに疑問を持っていると思います。神は心に宿るという言葉も信じられないと思います。でも、それを馬鹿正直に信じた結果、欲しいものが手に入った私がいます。ですから、プラスの言葉と潜在意識の存在を信じる心があれば、夢は叶います。それは誰でも叶うものだと私は思っています。何も選ばれし人間だけの特権でもなんでもありません。小市民の私でも出来たのですから。

ただ、私のようにネガティブな心が時折顔を出す人間だと時間はかかるようです。ポジティブに潜在意識を信じ、念じることを継続できれば成功者になれる!と私は思います。

・・成功者の定義は人それぞれだとは思いますがね。・・・

 

私が行った方法を簡単に書かせていただくと、家については町を歩き欲しい家を探し、気に入った家の絵をスケッチし、家族が笑顔で暮らすことを妄想することを日々行っていました。また、松本商会は自分が成りたい職業を妄想し、そのスキルが手に入るように潜在意識に語り掛け、少しでもそれに近い仕事があれば社内で企画書を提出するなどを行いました。

そんな日々の繰り返しが現実になった理由だと思います。

 

さて、皆さんは私は変わり者だと思いますか?実は、社内でも他の人とは違う意見を言う変わり者だと思われていたようではあるのですが(笑)でも、変わり者と言われることが心地よいのも事実です。なぜって、人が同じようにやったら、秘密の法則を知られてしまうじゃないですか(笑)

・・って、ここで書いてしまったら意味ないですけどね。「念を入れる」「信じる」「夢を具体的に絵に書く」皆さんも試してみてください。あっ、それとあとは「根気」も重要なファクターですので忘れずに。

 

次回は、この方法で自律神経を自分で治した方法をご紹介しますね。特別な不思議な体験をしましたので(笑)


2016/12/26  私の体験した不思議なお話し⑭

 

昨日はクリスマスでしたね。皆さんはどんなクリスマスでしたか?我が家は子供が巣立ち、ジジババだけの質素なクリスマスを過ごしました。去年とは違うちょっと寂しいクリスマスでした。でも、子供が結婚して家を出ていったのですから、それはそれで良しとしないと罰が当たりますよね(笑) 

ところで、今日の不思議なお話は夢か現実かはわからないお話をしたいと思います。皆さんにとって12月25日はキリストの生誕を祝うクリスマスですよね。でも、私にとっては人生の師であるチャップリンの命日なんです。

 

1977年12月25日の朝、突然チャップリンに起こされました。部屋にはちょび髭のない素顔のチャップリンのポスターが飾ってあったんですが、まさにその素顔の彼が私を起こし、次のように言葉をかけてくれたのです。「今まで応援してくれてありがとう」って。勿論、夢だと最初は思いました。あまりにも尊敬しているので夢にまで出る位なんだな、俺、なんて考えてみたりもしました。

でも、その後ニュースを見てビックリ!チャップリンが老衰の為、スイスのブーベ湖畔の自宅で亡くなっていたんです。88歳でした。夢だと思っていたのですが、このニュースを見て感じたんです。「きっと、世界中のファンにお別れの挨拶にポスターを扉にして会いに来てくれたんだ」って。

おかしいですか?おかしいですよね。チャップリンのファンでもない方からしたら。何言ってんだかと思うかもしれません。

でも、私にとってあれは夢ではなく本物のチャップリンだと今でも信じているんです。

 

エドガーケーシーという心霊学者が本にも書いているのですが、あの世は思った場所へ瞬時に行けるそうです。その理屈を信じるなら私のところに来てくれたしても不思議な話ではありませんよね。ただ、彼が私をなぜ知っているのかという部分の理由付けはないのですが(笑)

今日はクリスマス=チャップリンの命日の次の日にちなみチャップリンが夢枕に立ってくれたというお話をさせていただきました。信じる信じないかはあなた次第です!!(笑)


2016/12/12  私の体験した不思議なお話し⑬

 

今日の不思議なお話は「リンクした」というお話をしたいと思います。デジャブというと夢に出てきた景色や会話などが現実に起こることを言いますよね。私も何度かその経験をしていて、これもとても不思議な現象だと思うのですが、今回のお話は夢ではなく現実の事柄がリンクしたというお話なんです。それも人生の分岐点とも呼べる試験で2度も。

 

1度目のリンクは、大学入試でのリンクのお話です。高校の成績は中の中くらいのだったのですが、少し高望みをした学部を受けることにした為に、前日に緊張感が襲ってきてしまいました。そこで、緊張をほぐす為に模擬試験を自分なりに行っておこうと思い立ち、本屋で過去の問題集というのを買ってきて、時間も測りながら実戦練習を行ってみたのです。その時はそこそこできたので、少し自信を蓄えつつその日は早めに就寝し明日の試験に臨むことにしました。そして、当日、試験用紙を見てみると前日自己模試をした時見た問題が何と3つも出ているではありませんか!過去の問題集と言っても同じ問題が出るなんて信じがたい光景でした。あまりにも驚いたせいで、余計緊張感が高まりなかなかペンが進まなかった記憶があります。でも、おかげさまで試験には合格し大学に入ることが出来ました。もし、あの時思い立たずに自己模試をしていなかったら、合格していなかったかもしれないのです。

2度目のリンクは、入社面接でのリンクです。私は大学時代あまり新聞を読まずに過ごしていたぼんくら学生だったのですが、面接の当日、電車に乗ると網棚に新聞が置いてありました。「スポーツ新聞かな?」と思いつつ手に取ってみると日本経済新聞。「なんだ」と残念な気持ちで、いつもなら棚に返すところなのですが、電車の中は暇だなと思ったのでとりあえず、一面だけ読んでみることにしました。でもやはりつまらないと思い(笑)棚に返したのですが、なんと面接で「今日の日経は読んだ?一面は何が載っていましたか?」という質問だったのです!!この面接官の役員は私を電車の中で見ていたのか!と感じるほど的を得た質問で驚いてしまいました。勿論、その箇所だけ読んでいたので(笑)答えることができたのですが、もし、網棚に手を伸ばしていなかったら答えられなかったと思うと後になってぞっとしてしまいました。お陰様でオリエンタルランドに入ることができ、34年間も勤めさせてもらうことが出来ました。で、今があります。(*´∀`*)

 

いかがでしたか?この不思議なリンクは。それも、大学の入試と会社の面接でのリンク。人生の分岐点で起きたリンクは自分の力ではどうにもならない不思議な現象ですよね。今でもあのリンクがあったからこそ、後悔のない人生を送れているようで見えない力に感謝しているのです。

この不思議なお話でいつも見えない力の力技をご紹介していますが、これほど明確に力の存在を感じることはなかなかない現象です。皆さんもそんな経験ありませんか?もしあったら、おごることなく素直に感謝してくださいね。そうすれば、もっともっと力を貸してくれると私は信じています。


2016/12/05  私の体験した不思議なお話し⑫  

 

前回この「私の体験した不思議なお話し」でも書きました草場一壽さんの絵が届きました。私が瞑想中に見た「天女と羽衣」とそっくりな素敵な絵です。(ブログの写真がその絵です)早速、玄関に飾らしていただき光が家中に溢れています。

それにしても瞑想中に見た姿が実際の絵画となって表れるというのは神秘的です。私自身不思議なことが多く起こる身としても、今回何かしらの縁を感じています。今後、この絵によって不思議な体験をしたら報告させていただきますね。

ところで、実は瞑想中に見たものとしてはこの絵は3番目なんです。ということで、1番目と2番目に見た体験を今日はご紹介したいと思います。

1番最初に見たものは「平安時代の武士」でした。最初に渦巻の雲が見え、その雲がスピードを増していくと、突然その中から一人の若い武士が目の前に現れてきました。では、なぜ平安武士だと分かったかというと、頭に「引立鳥帽子」を被り、「直垂」という装束を着、「刀」「弓」等を付けていたからです。明らかに戦国時代の鎧武士ではありませんでした。最初は公家かと思ったのですが、刀と弓を持っていたので武士ではなかったのかなと今では思っています。

この時は初めての体験でしたので、驚くというよりも「なぜ、ここに現れたのか?」という疑問符の方が大きく、怖さはありませんでした。会話をすることもありません。時空の彼方から目の前に突如とした現れた平安武士が私を涼やかな優しい眼差しで見てくれていました。

整体師の先生にそのことを聞くと、「きっとあなたの守り神ではないですか?」という回答。でも、なぜ守り神が武士?と思ったのですが、確かにその当時、会社の中で人間関係や将来の事、仕事の事などで会社という小さな世界で私自身戦闘モードになっていたからかもしれません(笑)その武士が心の葛藤を知り、守り神として現れてくれたとしても不思議ではないなと納得したことを覚えています。それにしても光に満ちた若き侍で一つも嫌な感情にならなかったのです。

2番目に見たものは、まるでディズニー映画の1シーンのように、動物たちが森の中に集まり会話をしている様子でした。

何か楽しくて不思議ですよね。これを見た時、「ディズニーも何かの拍子にこのシーンを見て映画の中で描いたのではないか?」という気づきらしきものを感じました。よくクリエイターは、夢や瞑想であの世と繋がり、インスピレーションを得ると聞いたことがあったからです。そんな気づきを得てから、改めて初期のディズニー映画を見ると、人と動物、植物が会話をするシーンが多いことに気づきます。きっとディズニーも何かの拍子に見た可能性があると私は思っているのです(笑)

 

さて、瞑想中に見たものの3つは以上です。人は氣を大自然と循環させるとこの世とあの世の狭間を浮遊するとインドのヨガの先生にも教えてもらいました。この体験はその時の私に必要な事であり、何かを気づかせてくれるキーになる人やもの達だったのではないでしょうか。侍は「戦闘モードを落ち着かせる為に」動物たちの語らいは「ディズニーというクリエイターとの共鳴に」それぞれ、今の自分に役立つ体験だったと感じています。そして、天女と羽衣の絵画との出会い。この絵画にはまだ明確な回答はありませんが、いつか出会いの意味が見えてくるはずです。

今後も時間が空いたら瞑想で自然と一体となって「課題の改善策の作成」や「心のリフレッシュ」に活用していこう思います。


2016/11/28  私の体験した不思議なお話し⑪

 

私の体験した不思議なお話⑨でお話した「白い犬が父の分身」だというお話を覚えていますか?これは母に教えてもらったものでしたが、今日は祖母に教えてもらった分身のお話をしたいと思います。

 

母は昭和一桁の生まれですが、祖母は明治の生まれです。昔の日本には亡くなった方の分身の話はよくあるようで、幼い私によく祖母はそんな言い伝えを話してくれました。

私の家はミシン屋を廃業した後、あるミシン会社の2階で暮らしていたのですが、トイレはくみ取り式、キッチンはあるのかないのかわからないくらい汚く、また、台風が来るときしむし雨漏りはするしと俗にいう安普請の家でした。それが小学校低学年の頃近くに新しく団地が出来、その団地に引っ越すことになったのです。団地は当時としては画期的な居住空間で、部屋は団地サイズと言って少し畳が小さいのですが戦後の復興を象徴するものと言われる位画一的で、それはとてもきれいなものでした。私も子供心にそれまでの家よりもきれいで頑丈に造られていて、台風が来ても雨漏りはしないだろうし、風で家がきしむなんてことはないだろうとうれしくて仕方なかった事を覚えています。そんな団地に住んで数年たったある年のお盆の時期に一頭の美しい蝶が部屋の中に迷い込んできたのです。

色はピンクがかった白だったと思います。大きさは子供の目とは言え少し大きめ。部屋中踊りながら飛んでいました。時間は夕方だったのですが、父も母もまだ仕事に行っていて家には私と祖母の二人。その二人の間を踊るように飛び回っていました。美しい蝶でしたから私は捕まえたくて、逃げる蝶を必死に追いかけていると祖母に「捕まえちゃダメ」と大きな声を出されてしまいました。「なんで?」とちょっと残念な気持ちで聞いてみると祖母は「お盆だから死んだおじいちゃんが会いに来たんだよ」と教えてくれたのです。昔から亡くなった方はお盆や命日など縁のある日に動物や昆虫などになって会いに来るという言い伝えを昔から教えてくれていたので、その言葉を聞いて私も納得しただ眺めるだけにしました。すると、その蝶は一番大きな部屋の蛍光灯の傘の中に入りそのまま消えてしまったのです。勿論少し待った後中を覗いてみたのですが、蝶はいなくなっていました。

その後祖母に「おじいちゃんいなくなっちゃったね」と言うと「そうだね。二人に挨拶してまたあちらの世界に帰ったんだね」と教えてくれたのです。

 今思うと不思議な現象です。突然現れた蝶が二人の間を舞い踊り、忽然と消えてしまったのですから。傘の中に入ったのは二人で見ています。私はその後中も確認しています。でもいない。だから、今でも祖父が蝶となって新しい団地に暮らす私と祖母に会いに来てくれたんだと信じています。

 

最近、核家族で祖父、祖母と暮らす家が多くない時代ですので、こんな迷信?話を聞いたことがない方も多いのではないでしょうか。もし、何か縁ある日に動物や昆虫が家に来たら追い出すのではなく亡くなった縁者だと思って優しくしてあげてくださいね。


2016/11/21  私の体験した不思議なお話し⑩

 

今日は記念すべき10回目の不思議なお話になりました。そこで、子供の頃のお話を飛び越えて一番最近起こったお話をしたいと思います。

先週の土曜日、草場一壽さんという陶芸家で絵画作家さんの個展に伺いました。そこで、素敵な絵にたくさん出会ったのですが、つい一つの作品に目が留まってしまいました。それが、羽衣をまとった天女の絵です。そして、初めて個展で気に入った絵を購入してしまったのです。これまで、個展と呼ばれる場所に幾度となく仕事がらみで伺ったことがあるのですが、購入するというとこまで惹かれる絵はありませんでした。でも、今回はどうしても欲しくなり買ってしまいました。それだけ素敵な絵であり、不思議な出会いを感じたからなのです。

 

30代の頃私は自律神経の病と闘っていました。当時今と違って、心療内科というお医者さんもなく、内科で自律神経失調症と診断され、会社を休めば治るという程度の診断しかされない時代でした。その時「医者のくせして治せないのかよ!」と腹が立ち自分で治すしかないと考え(笑)治すために一念発起しいろいろな場所に出向き、もがいていくことになります。もがいた結果、多くの出会いと気づきがあったのですが、ある時一人の整体師さんと出会い、その整体師さんが教えてくれた瞑想によって不思議な体験をしたのです。それは、今回購入した絵画と同じ羽衣をまとった天女との出会いです。

その時は一瞬何がどうなっているのか理解するのに時間がかかりましたが、目を伏せたまま、俗にいう第三の目に神経を集中しもう一度はっきり見えるようにしてみると、ピンクの美しい羽衣をまとって浮遊している天女の姿をはっきりと確認することが出来ました。

羽衣や天女などというものは、子供の頃おとぎ話の挿絵しか見たことが無かったので、細かなリテールまで知る由もありません。でも、その時見た羽衣や天女の姿形、そして、顔の表情が今回一目で気に入った絵画とそっくりだったのです。

その絵はまだ家には届いていませんが、今から飾るのが楽しみで仕方ありません。

夜寝てみる夢の現象が現実に起こることは良く起きるのですが(違う日に書かせていただきますね)、瞑想中に見たものがそのまま絵となって現実に現れるなんて。まるで予知夢の瞑想版の様ですね。

 

最近は余り瞑想もしていないのですが、今回絵の出現がありましたので、また瞑想を始めてみようかなと思っています。

皆さんもストレス発散に効果がありますので、瞑想をお勧めしますよ。きっと何か見えてくるかもしれませんから是非!(笑)


2016/11/14  私の体験した不思議なお話し⑨

 

我が家にいるわんちゃんは、雌のマルチーズ6歳「ルナ」といいます。色は白。足が短くおしりがプリプリのとっても愛嬌のある子です。このルナの前にいた犬もマルチーズ雄の「ゴン」という、やはり白い犬でした。我が家はいつも小さな白い犬しか飼いません。どうしても小さな白い犬に目が行ってしまうからなんです。

では、なぜ小さな白い犬にしか目に入らないかというと父の最後の日に関係があるので、そのお話を今日はしたいと思います。

皆さんは白い犬って「亡くなった方の分身」だという話を聞いたことありますか?私も父が死んだ日の不思議な出来事まで知らなかったのですが、教えてくれたのは母でした。とはいえ、その理由まで母も地元の言い伝えとしか理解していないようでしたが、誰かが亡くなると白い犬になって身内に会いに来るそうです。

実際、私も父が死んだ夜小さな白い犬に出会ってしまいました。

 

人が亡くなるとすぐに病院を出ることもあるでしょうが、その病院は翌朝まで霊安室に安置して下さる病院で、お線香を絶やさないよう私と母で起きていることになったのです。でも母が「体力を持たせる為に1時間だけ食事に行こう」というので、病院から一番近いレストランに行くことになり、夜の道を歩いていると突然、小さな白い犬が二人の足下に現れ一緒に歩き始めました。私の足下に来たり、母の足下に行ったり、まるで「俺はここにいるぞ!」とアピールするようにじゃれてついてくるのです。

レストランまでは病院から100メートル程度の距離だったのですが、病院を出るとすぐ現れ、レストランに着く寸前までじゃれながら一緒に歩いて行きました。でも、いつの間にかいなくなってしまったのです。足下にいたはずなのに、レストランの扉が見えたと思った瞬間、陰も形もなくなってしまいました。少し周辺を探してみたのですが、全く見つかりません。その時母が言い伝えを思い出し「きっとお父さんがお別れに来たんだね」とつぶやいていました。

 

白い犬が「亡くなった方の分身」であるという証拠は何もありません。地域によってはそのような言い伝えはないかもしれない、地域限定の言い伝えだと思います。でも、私にとってあの夜足下でじゃれてくれた白い犬はとても可愛く愛おしい存在でした。

あの時から犬は白!白い犬しか飼わないと決めているのです。


2016/11/08  私の体験した不思議なお話し⑧

 

小学校の低学年というのは自転車を乗れる子が多くなりますよね。私も補助輪が取れて自転車を乗るのが楽しくて仕方のない頃がありました。いつでも、どこへ行くにも自転車で動き回っていたんです。ただ、田舎のように広い道や車があまり走らない道路というのがなく、家の周りは狭い道で車の大来が多い場所でした。最近ニュースで小学校の列に車が突っ込んだとか、自転車が巻き込まれた等怖い話がテレビを賑わせていますが、今考えるとよく事故にあわなかったなと思います。でも、今日の不思議な話は事故にあわなかったのでなく、事故を未然に防いでくれた方がいたというお話をしたいと思います。

ある時、狭く、家が死角になる道を何気なく自転車で走っていると、突然その死角から車が現れ自転車の前輪にぶつかってきました。車の運転手は私の顔を見るなり怒鳴り散らし、スピードを出していたこと等どこ吹く風。私が一方的に悪いような雰囲気を作られてしまいました。私はまだ子供だったので、運転手の怖い顔に反論もできず泣きそうになってしまいました。運転手は、怒鳴り散らした後、何もなかったように行ってしまったのですが、近くて見ていたおばさんが近寄ってきて「大丈夫?車の方が悪かったのにね」と慰めてくれました。その言葉がなんて優しく、うれしかったことか今でも忘れられません。

その時もう少し私が死角から出ていたら身体に車は当たり、大きな交通事故になっていたんです。今思い返してみると間一髪。大きな事故にならなくて良かったと思います。

でも、間一髪は偶然ではありません。

どういうことかというと、自転車の勢い的には前輪だけではなく自転車全体が出ていてもおかしくなかったのです。その勢いの中誰かが私の身体を後ろに引いてくれたから前輪だけですんでいたのです。その後ろに引く感覚があったので、今でも不思議な出来事として覚えています。

勿論、声を掛けてくれたおばさんではありません。周りに人はおらず、見えない誰かが私の身体を手で後ろに引いてくれたのだと思います。手の感触があったにもかかわらず、誰なのかいまだにわかりません。

 

こんな現象?はいくつかあります。私がいまだに元気でいられるのも、見えない誰かが私をいつも見守り、助けてくれているからだと思っています。

皆さんはそんな経験ありませんか?もし、あるならその見えない方に感謝し、見えない方のサポートを汚すような行いをしないよう生きていきましょうね。私はいつも見守られている力を感じつつ、感謝の毎日です。


2016/11/01  私の体験した不思議なお話し⑦

 

すいません。昨日が不思議な話の日だったのですが、サッカーに興奮してしまい不思議ではない話をブログに書いてしまいました(笑)なので、1日遅れでお届けします。

 

今日のお話は小学校低学年の頃のお話をしたいと思います。私は小学校3年生の頃まで大きな扁桃腺があり、月に一度は40度の熱を出す子供でした。3年生になってあまりにも熱を出すので扁桃腺を手術で取っています。現在は取らないとお聞きしたのですが、その当時は取る子供が多かったのです。

その扁桃腺を取る前の年齢ですから1~2年生の頃のある夜明け、いつものように大熱が出てうなされていました。母は氷枕を用意してくれ市販の薬を飲んで寝ていたのですが、突然母が「足を上にあげて寝るんだよ」「大きな声を出してごらん」「立ち上がって飛び跳ねて」と言うではありませんか!何のことかわからず、言うことを聞いてその動作をしていると、死んだ祖父が現れ「よくできたね」と褒めてくれたのです。祖父が褒めてくれたので、すごくうれしくなってその動作をもっと大げさにしてみたところ、益々祖父は笑顔になり私はとても幸せな気持ちになりました。

そうこうしていると、遠くの方から母の声がしてきます。「何してるの?」「どうしちゃったの?」とても悲しげな声でした。

そっと目を開けて母の声の方を向くと、母と祖母が心配そうに私の顔を覗き込んでいるではありませんか。母は私が目を開けたことを確認したら、すぐに私をおぶり血相を変えて近くの病院まで走っていました。

 

熱が下がってからわかったのですが、最初に母が言ったと思った言葉は母の声ではなかったみたいなんです。医者は「熱に浮かされたのでしょう」と言うことで話は終わったのですが、高熱が出ると不思議なことが起こるものですね。

うわごとをいうのはわかるのですが、祖父まで出てきて褒めてくれるって・・・熱のせいなんでしょうか?

もし、あの時祖父が「こっちにおいで」と手招きしたら行っていたかもしれません。今思うと何とも不思議な怖い思い出です。


2016/10/24  私の体験した不思議なお話し⑥

 

今日の不思議なお話は、幼稚園年少のある夜の出来事で、普通の子には見えない現象が見えてしまったというお話をしたいと思っています。

 さて、皆さんは布団に入り横たわると天井が見えるのが当たり前だと思います。その天井と自分との距離は普通の人ならいつもの通りの距離として何も疑いもなく見ているはずです。でも、それが突然距離が遠のいて行ったとしたらどうですか?驚いてしまうと思うのですが・・・。その時の私はまさにそのようなことが起きてしまいました。いつもの天井が寝た瞬間から急に動き出し、はるか彼方遠くへ行ってしまうなんて。私自身その時何が起きたのかわからない状況で、母に「天井があっちの方へ行っちゃった!!」と叫んでいました。たぶん母は、この子は何を言っているんだと思ったでしょう。次の日病院に連れて行かされ精密検査を受けさせられました。結果お医者さんからは、目も脳も問題がないとの診断。良かったとはなったものの、あの現象はなぜ起こったのか正確にいまだにわかっていません。

ただ、母やお医者さんには見える現象だけ伝えたのですが、遠くに行っている最中自分の中で何か不思議な感覚が芽生えていたんです。それは、宇宙空間に放り出されているような気持ちです。他の表現をすると3次元から4次元へ移行するゆがみのような意識と言った方が良いかもしれません。つまり、その時「遠くに行っちゃうよ!!」と怖くて言葉を出したのは、母や父の前から違う場所に自分が行ってしまうような感覚が襲ってきたということなんです。もし、あの場で声を出していなければ違う次元に飛んで行ってしまったかもしれないのです。

 中学校の頃読んだ本の中に、4次元への扉を紹介している本がありました。タイトルは忘れてしまったのですが、それによると3次元も4次元も同じ時間の中で重なっているが、次元の違いがあるために3次元の私たちは4次元の人や物が見れないそうです。でも時折、4次元の窓、扉が3次元と繋がった時急激な場の波動が乱れる動きがあるらしいです。本の知識だけですので、本当かどうかはわかりません。わかりませんが、私が体験した天井の動きはひょっとしたらその窓か扉とのつながりによって見えた現象だったのかもと今では思っています。

 

おかげさまでその時のような現象はあれからこの年になるまで起きていません。目は順調に老眼になっています(笑)。それにしてもあの夜の現象は何だったんでしょう。もし本当に次元のゆがみだとしたらなぜ私に起きたんだろうと不思議な気持ちでいっぱいです。

あっ! そうそう。その現象の時誰かが私の近くにいたような記憶もかすかに残っているのですが、忘れてしまいました(笑)


2016/10/17  私の体験した不思議なお話し⑤ 

 

不思議なお話の連載を2週間ぶりにお届けします。

私がこの身体に意識が宿ったお話は前回で終わりましたが、まだまだ不思議な体験をしていますので、今日からまた違うお話をさせていただきますね。

今日のお話は「すれ違う電車の女の子との会話と老人への涙」です。

どういうことかというと、私が3歳位の頃よく母と母の実家のある千葉市へその当時住んでいた高根木戸(船橋市)から電車で遊びに行くことが多かったのですが、ある時電車から外を見ながら乗っているとすれ違う電車に乗っていた女の子が私の方へ話しかけてきたのです(話の内容は忘れてしまっています)。当時そのことは決して不思議ではなく当然の事と受け止めていました。勿論今ではあり得ない!話なのですが・・・。話しかけてきてくれたので、こちらの電車から女の子の電車に行こうとするのですが行けない。これも当たり前ですね。でも、行けない自分が歯がゆくてその度に「なぜ向こうの電車に行けないんだろう!?」と悔しさを感じていました。また、多くのおじいさん、おばあさんを電車で見たのですが、その姿を見るたび涙を流していたのも記憶しています。これもひょっとして実際はいなかったかもしれませんが・・・。

後から書物で知ったのは、あの世のシステムとして(笑)「行きたい!」と思った瞬間自分が思った場所に行けるらしいですね。きっとあの世の記憶が残っていて、行けない自分が歯がゆく感じたのではないかと今では思っています。また、おじいさんおばあさんへの涙は、心が熱くなって流した涙だったので「懐かしさ」とか「郷愁」のような感じになっていたのではないかと思います。現在は、一生懸命に何かに没頭する子供を見ると心が熱くなってきて涙が出てしまうおじさん特有の現象ですが(笑)この涙と当時の涙は根本的に質が違うような気がしています。今思うといったい生まれてからいつまで生まれる前の記憶を引きずっているんだと思うのですが、こんな現象は幼稚園まで続いていきます。

今子育てをしているお母さん方も自分のお子さんを観察してみてください。私のようにあの世の記憶を基にした奇妙な行動を取ることがあるかもしれません。なぜなら、幼児はあの世の記憶が残っている子が多いと聞いています。実際、私の長女も壁に向かって「今日の出来事」を私には見えないおばあさんと会話していました。会話が終わった後何気なく「誰と今お話ししていたの?」と質問してみると「優しいおばあちゃん」って教えてくれましたので(笑)。大人になった長女にその当時を聞いても「知らないよ。気持ち悪い!」と怒られてしまいますが・・・。

 

さて、今日はこれでおしまいです。次回もまた幼い頃の不思議な体験をお話しますね。


2016/10/03  私の体験した不思議なお話し④

 

こんにちは! 月曜日になりました。どんよりした、時折雨が降るあいにくの空模様ですね。週の初めはちょっと憂鬱なのに、はっきりしない天気でよけい学校や会社に行きたくない・・・なんて思ってしまいませんか?でも、無理やりにでも笑顔で前向きな気持ちになる努力をして今週も頑張りましょう!そうすれば、きっと良いことが起こりますから!! 

さてさて、先週は「男の声がした!?」でしたね。今週は、「大人から一気に赤ちゃんへ」と題してお贈りします。

 

身体は赤ちゃんでも心は大人の男だった私は、起こされた部屋から階段のある部屋までよちよち歩いていきました。当時、私の家は、床の間のある6畳の部屋ともう一つ続きの6畳部屋があったので、12畳程を端から端まで歩いたということになります。その間は、まだ大人の男の心のままでした。歩きながら、今いる状況が呑み込めていないという気持ちです。「俺は何者?」という疑問だらけのまま歩いたのです。そして、階段の上に到着しすぐに母を呼びました。そこが不思議なんですが、その母を呼んだ時はもう大人の男ではなかったんです。子供の私になっていました。呼んだ後母から「もう起きたの?」と優しい言葉と笑顔の顔が見えたんですが、その声や顔がすごく懐かしく、うれしく、思わず泣きだしてしまいました。なぜ泣いたかはわかりません。無性に心が解放され、涙が止まらなくなったことを記憶しています。今思うと、その時感じた「懐かしさ」という感情も不思議な感情ですよね。母の声を聴き顔を見て懐かしいなんて。まるで、昔から知っている菩薩のような存在。 これもある方の本で知ったのですが、父母を決めるのは自分だということです。どの親から生まれるかは、自分が親を決めてこの世に出てくるそうです。ということは、母の声や顔を懐かしく思ったのは過去世でも何かの縁をもらっていた魂との再会だったということになります。どんな縁だったのでしょう?知りたくもあり知らずが仏なのかもしれません(笑)

その当時私の家族になってくれた人たちは、祖父、祖母、父、母、叔父そして私の6人家族。でも、現在は祖父、祖母、父、叔父は亡くなっていて、母しか生きていません。ただ、それも仕方のないこと。時代は進んで私の代になっているのですから。今は、妻、娘、息子、そして今も健在の母が元気に暮らし家族を創ってくれています。娘も息子も今年結婚しましたが、きっと、子供たちが私たち夫婦に親になってくれるよう決めて生まれてきてくれたんだと思うと、これからも、決めてくれたことに感謝し子供たちの幸せの為に頑張らないといけないなと思います。・・・・とは言っても、スネをかじられすぎるとスネがなくなるので子供たちよ、たまににしてくれよ!(笑)

 

さぁ、これで4回の連載は終わりです。いかがでしたか?私の人生の最初の不思議な体験?次回も新しい不思議な体験談をお届けします。お楽しみに!!!


2016/09/26  私の体験した不思議なお話し③

 

こんにちは! あっという間の1週間でしたね。連休もあったせいかいつもより短いなんて感じてしまいました。皆さんはどうでしたか? そして、今日は秋晴れ。でも、雨の多い1週間でした。車を掃除したくても雨のせいでなかなか掃除ができず、やっと今日拭き掃除と車内の掃除ができてほっとしています。

さてさて、今日は連載3回目となりました。私の体験した不思議なお話し。これまでどんな風にお読みいただいたでしょうか。夢でも見ていたなんて思っていませんか?これは決して夢のお話ではありません。実際体験しいまだに覚えている体験です。ぜひ、素直にお読みくださいね。

前回は半身起こされたまででしたね。本日の副題は「男の声がした!?」です。では始めます。

 

半身起こされ部屋を見まわした後、次に突然フワッと立たされます。もちろん脇を持たれ、一度足が布団から離れるくらい一気に立たされました。立ったということは、生まれたばかりではなく、1年近く経つ時期ではないかとは思います。後で母に聞いたところ、人より早くよちよち歩きをしたということですので、おそらく、生まれて半年~1年のどこかということになります。立たされる時も突然ではありましたが、怖さは全くありません。もちろん、後ろに誰もいなかったのです。そして次にもっと不思議な現象が起こります。それは、立った後心の奥の方から「ここはどこなんだ?俺は誰なんだ?」と野太い男の人の声が体中に響き渡ったのです。耳から聞こえてきたというよりも、身体の中から聞こえてきたという方が正解です。ですから、まだ身体は赤ちゃんでも心は大人の男だったということになります。その声を今思い返してみると、現在の私の声とはちょっと違う気がします。もう少し、太く男らしい声です(笑)おそらく、私の前世の記憶が残っていたのか、もしくは、あの世の存在自体を記憶に残して欲しいという誰かが不思議な体験をさせてくれたかもしれません。今でこそ、スピリチュアルな世界では霊魂の存在や生まれ変わりなどのお話が本やTVで数多く取り上げられていますが、その体験は私にとって生まれ変わりやこの世以外の存在を裏付ける実体験となっているのです。

 

さぁ、いかがでしたか?3回目はこれで終わりです。とても不思議な体験だと思いませんか?次回4回目の副題は「大人から一気に赤ちゃんへ」と題してお贈りしますね。お楽しみに!!!


2016/09/19  私の体験した不思議なお話し②  

 

こんにちは! 皆さん1週間どのように過ごされましたか? 楽しい1週間の方、ちょっと辛い1週間の方、それぞれの1週間を過ごされたと思います。私も毎日ブログやFBに投稿したように、いろいろなことがあって、あっという間の1週間でした。でも、元気に生かされてます!(笑) どんなことがあっても笑顔を忘れずに周りの人たちに感謝しつつ今週も頑張りましょう!!

 

では、連載2回目のお話をしていきたいと思います。2回目の副題は「暗闇から光の世界へ」です。

前回は暗闇の中で意識が目覚めたといいましたが、その暗闇の中で「ここはどこなんだろう??」という疑問だらけの中、突然目の前が明るくなりました。すごく明るくて少し目をパチクリするくらい明るい光が入ってきました。そして、格子の板と何やらまあるい輪っかのような物が見えたんです。今思い返してみるとそれは、私の家の天井と部屋の電気でした。つまり、現実的に言うと目が明いた状態になったということです。その時は、何もわかりません。とにかく暗闇から光の世界が開けたと思いました。ここからもっと不思議なことが起こります。次に誰かが私の脇を後ろからもって半身起こしてくれたのです。つまり私は布団に寝ていた状態から、誰かに手で半身起こされたことになります。普通考えれば、父か母など大人が起こしてくれたと思うかもしれませんが、その時部屋には誰もいませんでした。私しかいなかったのです。もちろん自分で起きたわけでもありません。敷布団の中から誰かが私の脇に手を入れて半身起こしてくれたことになります。何とも奇妙なシチュエーションですよね。でも、半身起こされた時怖くはないんです。今思えば怖い状況ですが、その時は全然怖くない。暗闇から光の世界が明け、誰かが半身起こしてくれたとい状況だけを感じていました。

 

さぁ第2回目はいかがでしたか? もっと先を読みたくなりましたか(笑)でも、今週はここまで。私の体験した何とも不思議なお話は来週「男の声がした!?」をお届けしますね。


016/09/12  私が体験した不思議なお話①

 

今日は月曜日。週の初め皆さんお疲れではないですか?私もサラリーマンの頃月曜日が一番苦手でした。そこで、月曜日に目の覚める・・というか魂が感じるような話がしたいと思い、週一で私の不思議な体験を連載したいと思います。魂が感じるなんて言いましたが、不思議な体験ですので、童話を読むつもりで読み進めてくださるとうれしいです。で、もし、怖いなぁーなんて思う方がいらっしゃったら毛布を被りながら読んでみてください。(笑)

第一回目は、私がこの身体に意識が宿った時のお話をしたいと思います。えっ!身体に意識が宿った??と思わないでください。そんな不思議なことがたくさんおこったんですから。少し長くなりますので、主題として「体に意識が宿った話」にして、副題をつけて連載で書き進めていきたいと思います。

さて、連載の第1回目の副題は、「暗闇で目が覚めた」です。身体に意識が宿ったと思ったのは後からで、最初に感じたことは暗闇の中でした。最初の印象は「ここは暗いなぁー」という感じです。でも怖くはないんです。ただ、暗い。そして「この暗闇はどこなんだろう!?」という感想でした。身体はとっても暖かく心地の良い暗闇です。50数年生きてきましたが、あれほど心地の良い暗闇はありません。これが「身体に意識が目覚めた」一番最初の体験です。私の人生はこの暗闇からスタートしているといっても過言ではありません - きっぱり -。暗闇はふつう光のない世界ですから、本来なら何も見えませんよね。でも、その暗闇は暗い空間として見ることができたんです。だから、怖くない。ねっ不思議でしょう(笑)見える暗闇って。たぶん、目で見ているんではなくて意識で見ていたのではないかと今では思っています。そして、次に「この暗闇にどこからか入ってきたのだろう」という感覚が残っていたってことです。ある場所から暗闇の中に入ってきたという意識。だから、もともと暗いと理解しているから怖くない。未だにどこから来たのかわかっていないのが少し残念なんですが・・・。生まれた時を覚えている方の体験談を読んでいると「空から母を探していた」とか「あの世のサポーターが産道に入れてくれた」等と書かれていますが、私の場合はそういうことではなく暗闇に自分が入っていって安心している状態だったんです。

 

・・・・さて、今日はここまでにしましょうか(笑)「次回は暗闇から光の世界へ」の章をお話ししたいと思います。楽しみにお待ちください。さぁ!!今週1週間頑張りましょう!!!